ロボットには「頭」が必要?
ロボットの情報サイト「ロボハブ」では、専門家たちに興味深い質問を投げかける記事を定期的に上げている。今回は、「ロボットには頭が必要か?」という内容。
まず、記事の冒頭文が面白い。これ自体、アメリカのロボットが日本のヒューマノイド・ロボット文化とはかけ離れていることを示しているからだ。
「ロボットは機械。そして、ほとんどの人々がロボットの存在意義は実用性だと考えている。」
さて、専門家の意見は以下の通り:
・エイジャング・ムーン(バンクーバーのブリティッシュ・コロンビア大学機械エンジニアリング博士課程在籍): 同じ空間を人間とシェアしたり、道具を一緒に使ったりするロボットならば、頭がある方がいい。なぜなら、互いに重要な情報を交換するための表現が、自然にそこで行われるからだ。人は、何かをしている時にそちらに目をやり、どこかに行く際にはその方向を見る。話す時にはアイコンタクトを取る。こうした非言語的な合図がないと、相手のやっていることがわからなくて、コミュニケーションは困難になる。バクスターのアームは製造ロボットのようにゴツゴツしているが、頭を動くようにしたことで、ロボットに慣れていない人々でもやりとりできるようにした。これは革新的だ。
・マーク・ステファン・メドウズ(ゲペット・ラボ創設者、CEO): 頭があると、そこに思考があると感じるものだ。映画を観る時は、いつも登場人物の顔を凝視している。何を考えているのかを知りたいから。だから、ロボットに話しかけるようになるのならば、頭が欲しい。頭があると、ロボットに対してフワフワした暖かい気持ちを抱くことができる。つまりは、頭があれば顔があり、顔があればインターフェイスになるということだ。頭はデザイン要素でもあるが、アンドロイドの場合、かたち自体が機能になる。人間のように見えなければならないということだ。頭を付けることは、「機能は形式に従う」の原則を採用することである。ただし、軍事用ロボットはこの限りではない。頭なしのデザインには向上の余地があるものの、危険で過酷な作業を行うロボットの場合、頭があるばっかりに、どこかにひっかかったり爆破されたりするのがオチだ。
・トラヴィス・デイル(ロボット情報サイトHizook運営、ジョージア工科大学博士課程修了): 明らかに答はノーだ。頭のないロボットはたくさんある。一般に広まっているルーンバも、擬人的なキャラクターはあるが、頭はない。人の場合に頭がすることは以下だ: 食物を食べる(ロボットには不要)、計算力とストレージ(ロボットではここでなくてもいい)、センサー(ロボットでもてっぺんであることは有用だが、頭のかたちをしている必要はない)、感情と表現(ここに問題の核心がある。しかし、ロボットは感情を表現する必要があるか?)。私自身は、ロボットだけのメカニカルなかたちを模索してきたのだが、初期の高価な汎用ロボットは必ずやヒューマノイド型で頭を持つことだろう。それは、ロボットに金を払う消費者のためである。料理や洗濯をしてくれるロボットは、感情も表現して、「AI」とか「心を持つロボット」などというイヤな売り文句が聞かれることだろう。しかし、感情表現がもっと自然で洗練されたものになる頃には、ロボットの機能も向上しているだろう。
・デビッド・ロバート(アーティスト,ミュージシャン、MITメディアラボの博士課程在籍、以前はアニメーション・システムの開発者): ロボットのアニメーターとして、ロボットが社会的存在として扱われるために頭は必要でないと証言できるし、たとえ棒であっても、それらしく動けば人は親しみを感じるという研究もある。元来人は、モノに人間の性質を付与したり、自身の内的認識、感情に基づく動機から、モノを擬人化したりしてきた。アニメーターは、観客がしばらく不信感を棚上げし、言わば一緒になってモノ(箒や麻袋など)に存在性を与えようとする意思に助けられてきた。したがって、ロボットの場合でも、期待を適切に設定し、やりとりが行われるコンテキストがどんな結果を呼ぶかに精密に対応すれば、ロボットに生命を与えたいというユーザー側の意思を盛り込むことは可能だ。ただ、人間の頭には顔がある。ロボットの場合、顔はどこにあってもいいのだが、頭はかなり複雑で高度な自由度(DOF)を達成したとしても、顔の筋肉を正確なタイミングで動かすのは至難の業だ。もし、ロボットの精密な動きと高度なコントロールで、表現を生み出すことができるのならば、非言語的な重要な合図をやりとりする目的のために頭は必要ではない。ロボットの内的状態を伝える手段という意味では、頭はまったく要らないのだ。ロボットの意思は、その形状や身体的構造とは無関係に、表現的な動きと音で伝えることができるのだ。